しかし、母親は、「私が一緒に付いて行っていたら。」「私が怪我をしていなければ。」「私のせいで陽大は死んでしまった。」と、そのショックの大きさは計り知れないもので、精神的に大きなダメージを負ってしまいました。
当時、警察署の被害者支援要員でもあったS警部補も、本部犯罪被害者支援室、公益社団法人京都犯罪被害者支援センターと連携し、葬儀対応、臨床心理士によるカウンセリングなど、長期に亘り、親身になった遺族支援を行いました
そうした中、裁判が終わったその夏、S警部補が遺族宅を訪れたとき、遺族宅の庭に大きなひまわりが咲いていました。そのひまわりについて母親から
「陽大が事故に遭う前、幼稚園で育てていたひまわりの種を小さい手いっぱいに握りしめ、自宅に持ち帰ってきていたもので、来年は一緒に植えようねと話していたもの。
生きていた証の形見と思い庭に植えたものです。」
と聞かされました。
平成25年春、S警部補が人事異動の挨拶で遺族宅を訪問したとき、御両親から
「陽大が生きていた証を残したい。このひまわりがあちらこちらで咲けば、陽大もいろんな所へ行けると思う。もう事故は嫌です。」
と、ひまわりの種を託されました。
こうして、陽大君が生きていた証を残したいと願う遺族の思いと、交通死亡事故根絶の強い願いが「ひまわりの種」となって引き継がれ、その夏、S警部補が自宅に大きなひまわりを咲かせたのです。
翌平成26年3月、S警部補は亀岡警察署に異動となり、転入者スピーチで陽大君やひまわりのことについて話したところ、亀岡市でも平成24年に集団登校の列に無免許の少年が運転する車が突っ込み、死傷者多数の事故が発生していたこともあり、署員からの
そのひまわりを育てて、亀岡から命の大切さや交通事故防止を発信しよう
という言葉をきっかけに、署前の花壇にひまわりの種をまくこととなりました。
亀岡署では、署員一丸となって肥料や水やり等の世話を行い、その夏、高さ2メートルもの大きなひまわりを咲かせました。
このようにして、陽大君のひまわりの種は亀岡署で大輪の花を咲かせ、たくさんの種が採れた訳ですが、この取組をもっと大きく広げ、命の大切さと交通事故防止を府民に訴えたいの思いから、亀岡署から本部犯罪被害者支援室がひまわりの種の引継ぎを受け、「ひまわりの絆プロジェクト」を始めました。
そして、亀岡警察署を除く府下24全ての警察署や警察学校、多くの府民が訪れる運転免許試験場や警察病院等にひまわりの種を配布し、夏には本部は元より全ての警察署で見事な大輪の花を咲かせることとなりました。